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養老孟司さんの「バカの壁」はまさに立て板に水の論理構成。だからこそ「わかったつもり」にならず、じっくり何度も味わいたいと思います

養老孟司さんの「バカの壁」を読みました。
バカの壁 (新潮新書)バカの壁 (新潮新書)
(2003/04/10)
養老 孟司

商品詳細を見る

この「バカの壁」は言葉としても流行して、いわば一大ムーブメントになりました。
だから逆にほとぼりが冷めるまで待って、今になってようやく読んでみたのですが、
やはり名著といわれるだけあって面白かったです。

第四章の「万物流転、情報不変」で、
『平家物語』と『方丈記』を例に上げて、
情報と人間のあいだに、変わるものと変わらないものとの逆転が起こっていて、
それに気づいている人が非常に少ないと指摘している点や、

第五章の「無意識・身体・共同体」で、
人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会の関係から生まれる。
人生の意味について考えていくことが、個人にとっても共同体にとっても、
非常に必要なことなのではないか
と、理想の共同体について考えることが人生の意味を作るということを説いており、

また、都市化した現代人が
意識の世界に完全に浸りきってしまうことによって無意識の重要性を
忘れていると唱えているところに
なるほどと思いました。

この本の主旨は194ページの、

「あんたが100%、正しいと思ったって、
寝ている間の自分の意見はそこに入っていないんだろう。
三分の一は違うかもしれないだろう。67%だよ。
しかし人間、間違えるということを考慮に入れれば、
自分が100%正しいと思っていたって50%は間違っている」
ということです。

バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。
バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。
向こう側が存在しているということすら分かっていなかったりする。

に凝縮されていると思います。

養老孟司さんはとても説明が上手で、
モンテーニュのコモンセンスにしても、ソシュールのシニフィアンとシニフィエにしても
簡単に説明してくれるので、スラスラ読めてしまうのですが、
これを読んで終わりとしてしまうのではなく、
この本の内容をしっかりと噛みしめて、
今後の人生を生きていきたい、
また、ことあるごとに読み返したい
と思いました。

読書メモ(ISIS本座)

テーマ : 書評
ジャンル : 本・雑誌

松岡正剛さんの「多読術」は、情報とは何か、知とは何かを解いた哲学書でした

松岡正剛さんの「多読術」を読みました。

多読術 (ちくまプリマー新書)多読術 (ちくまプリマー新書)
(2009/04/08)
松岡 正剛

商品詳細を見る

松岡正剛さんを情熱大陸で見てカッコいい人だなあと思って、
大手町の丸善の「松丸本舗」に行って面白いなあと思い、
松岡さんの本を読んでみようと思ってこの本を読みました。

松岡さんの生い立ちと読書体験に始まり、松岡さんの読書術に入っていくのですが、
「読書は書いてあることと自分が感じることが『まざる』こと」、
「読書は著者と読者のコラボレーション」と、
僕がこれまで思っていた『読書』という行為を根底から覆す内容で面白かったです。

第六章のキーブックを作るでは「多読術」の核心に触れ、
1.読書は、現状の混乱している思考や表現の流れを整えてくれる
2.そもそも思考や表現の本質は「アナロジー」であり、「連想」である
すべての思索も論理も表現も行動も、「アルス・コンビナトリア」
3.僕の元気が出てくる厳選源泉や領域は、「曖昧な部分」や「きわどい領域」や「余分なところ」 だと確信している
「負の想像力」や「フラジャイルな観察力」
と言っています。

この「負の想像力」や「フラジャイルな観察力」について
複雑系では「カオスの淵」で「新しいオーダー(秩序)」が生まれている。それはいいかえれば「新たな意味の発生」。
「曖昧な部分」や「きわどい領域」や「余分なところ」にこそ何かのオーダーが発生している
感覚的なことにあてあめて言うと「せつない」とか「残念」とか「失望感」とか「気持ちがいっぱい」とかにあてはまる。
つまり、ふつうは「負」の部分とか「際」の状態だと思われているところに、意味が創発してくる。
と述べているところが面白かったです。

第七章の読書の未来では、松岡さんが使っているツール類に触れ、
また、デジタル情報世界の懸念点についても述べています。

いまや、どんな知識も「コーパス」(自然言語の文書を大量に集めたもの)としてデジタル情報になるが、
それを入れておくしくみを外に見せることと、
そこに行くルートに多様性と連想性が発揮されることが
組み合わされていない。
「知」には必ずアドレスがあり、「場所」があり、つまりは「来し方・行く末」がある。
という意見にはなるほど、とおもいました。

読書は「ナイーブ」で「フラジャイル」なもの、
「読書は他者との交際なのです」と、
すっかり松岡さんの世界に攫われました。

読書メモ(ISIS本座)

テーマ : 最近読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

小竹向原のアトリエ春風舎で青☆組の「忘却曲線」を観ました

今日は、生まれて初めて小竹向原というところへ行きました。
アトリエ春風舎で行われる青☆組の「忘却曲線」という芝居を観るためです。

アトリエ春風舎という劇場は地下にあり、
スパイラルの階段を下りました。

そして本番。
床も木、テーブルも椅子も木の部屋、
ベランダがありベランダにはタバコを吸う缶が置いてあります。

4人の娘と1人の息子が日記を書いています。
お母さんも日記を読みます。
日記を書く事はお父さんから教わったそうなのですが
お父さんはもういません。
日記を読み始めます。
それは8月。

お母さんは言います。
「日記をつけなさい、忘れるために」

子供たちは大人になり長女は結婚しています。
一番下の娘が突然家に戻ってきました。
そういった現状の今と、
日記に綴られて、忘れ去られていった過去とが
ことごとく紡ぎ出されて行きます。

一体いつの8月のことなんだろうと朦朧としたところで
お母さんが亡くなり葬式のシーンへ。
お母さんから離れたみんなはこれからどんな人生を送っていくんだろうと思いましたが、

いや、ひょっとしたらお母さんは最初からみんなの記憶の中にしか
存在していないのかもしれないとも思いました。
または、この話はは人の記憶ではなくて、この空間(場所)の
記憶の話なのかもしれないとも思いました。
(そう考えるとこの話は「ゴドーを待ちながら」的なのかもしれません)

舞台美術、照明、音響ともすばらしく、
また役者がみんな演技上手で、
この世界観に引き込まれました。

どっぷり夏につかって一緒に夏の気だるさ、匂い、切なさといったものを
追体験しました。

劇場を出て爽やかな気分になりました。こんな芝居は久しぶりです。







テーマ : 日記
ジャンル : 日記

イシス編集学校 「門前指南」に行ってきました

情熱大陸で松岡正剛さんを見て、この人カッコイイと思い、大手町の丸善の「松丸本舗」に行き、とっても面白いなあと思い、松岡正剛さんの編集術を学びたいと思いまして、イシス編集学校 「門前指南」に行ってきました。

19:00~22:00ということだったのですが、少し前に赤坂の編集工学研究所に着いてしまい、テレビの収録中ということで、近くの喫茶店で時間を潰すことにしました。

さて、時間が来て編集工学研究所の4階へ。
会場にはすでに4人いました。僕の後にさらに2人来ました。

イシス編集学校の頭取の大川雅生さんが入って来られて
門前指南がスタート。
まずは、イシス編集学校についての説明。

イシス編集学校は
情報の内容(コンテンツ)よりも、方法(メソッド)に着目して
情報をどう動かしているのかをみんなで出し合って交換する場所
ですとの説明。

そもそも「情報」というものは一つではいられないもので
どうならんでいるか、が編集であるとのことでした。

そして、ワークショップ。
紙の真ん中にまず「りんご」と書いて、りんごから連想するものをまわりに書いていく
ということを2分間で行ないました。
僕は、「赤」とか「ウイリアム・テル」とか「アップル社」などと書きました。
書き終わると、みんなで紙を回しあって他の人のものも見たあとで、
それらの連想の視点(カテゴリ)が何かを考えてみるということをしました。

なぜ「りんご」から「赤」が出てきたか、と考えると「皮の色」から出てきていることになり、
また、「りんごの皮の色が赤い」から「熟れている」とか「たべごろ」とか「おいしい」とか「田舎娘のほっぺの色」という風に言い換えることもできる。(この言い換えをシソーラス状態というそうです)

今まで、連想の連結部分が何によって連結されているか、
といったようなことは普段意識して行っていないが
そこを意識して情報がどう動いているかを見て、
どう動かすかが編集であるとのことでした。

また、「コップ」を別の言葉で置き換えるということもしました。
「容器」とか「製品」とか「商品」とか「廃棄物」と置き換えることができますが、
これは「コップ」がどこにあるかによって変わってくる。
水が入っていれば「容器」ですし、工場の生産ラインにあれば「製品」ですし、
店にあれば「商品」ですし、店の裏のゴミ箱の中にあれば「廃棄物」になる。

「地」(分母)(文脈)によって「図」(分子)(文章)は変わってくる。
文章は文章自体を変えようと思ってもわからず、分母を変えることによってかわる
ということを教わりました。

そんなこんなしてたらもう23:00を過ぎていて、
慌ててみんな帰りましょうとお開きになりました。

今まで使ったことのない脳を使った感じで、
頭が清々しいといった感覚を覚えました。

10月からの守コースはちょっとお金の面で難しい感じですが、
来年には受けてみようと思います。

また、松丸本舗にいったり、松岡正剛さんの本を読んだりして
編集術を勉強してみようと思いました。



「高円寺阿波おどり」をちゃんと楽しむにはどうしたらよいのか

今年も、8月の28日(土)、29日(日)に
高円寺阿波おどり」が行われました。
この「高円寺阿波おどり」ですが、
来場者数が2日間で120万人にもなるそうです。

でも、冷静に考えてみて、高円寺という街に
1日に60万人も入り切るのだろうか
という疑問が沸いてきます。
高円寺の中央通りとパル商店街、ルック商店街、
純情商店街などに60万人ってのは
きつすぎると思います。

高円寺阿波踊り06
パル商店街は始まるとこんな感じになります。

高円寺阿波踊り07
ルック商店街も今年はかなり人がごった返していました。

はっきり言って60万人のうち、
ちゃんと阿波おどりを見られている人が
何万人いるのかというのははなはだ疑問です。

高円寺で阿波踊りってやってるらしいから
見にいってみよっかみたいな感覚で来ると、
警察の人に
「ただいま一方通行になっております」
と誘導されるがままに歩かされ、
踊りを見られないまま高円寺を
ただグルっと一周まわってきて
しまうというパターンに陥りかねません。

なぜ、このようなことがおこるのかというと、
この「高円寺阿波踊り」は
場所取りの仕方が不明瞭
(ルール化されていない)
ということに問題があると思います。

高円寺阿波踊り01 高円寺阿波踊り00
こんな感じでガムテープで場所を取っているのです。

高円寺阿波踊り03
しかも道路のところには前日から縁石にガムテープで
場所をとっています。
警察も注意をするだけで、特に取り締まったりはしません。

高円寺阿波踊り04
17:15からは交通規制がしかれて
道路の縁石にガムテープで場所を取っていた人たちは、
一斉に道路に場所をとります。
でもって、なぜかこの人達には
ゴザが配られたりするのです。

高円寺阿波踊り02
僕は16時くらいに歩道にビニールシートで場所取りをしていましたが、
歩道は祭りがはじまると後ろに3列も4列も人ができて
トイレにいくことすらままなりません。

高円寺阿波踊り05
ギュウギュウな中、
なんとかを楽しむことはできましたが、

この「高円寺阿波踊り」、
場所取りの仕方というかそういったところをきちんとしないと
「二度と高円寺になんか来るもんか」
と思う人もいるんじゃないでしょうか。
また、パル商店街とかはほんとにギュウギュウなので
今後、事故とか起こり兼ねないかもしれません。

ことしはドイツのラブパレードで悲惨な事件もありましたし、
そのようなことがないように
「高円寺阿波踊り」は運営のあり方について考えなければ
ならないところにきていると思いました。




プロフィール

外神田守

Author:外神田守
東浩紀さんと秋葉原と野球とストリーミング生放送と演劇と読書が大好きです。日本橋も好きです。

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